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「大人」になりたくない人の雑記

中国習近平国家主席、天安門事件での大量虐殺を称賛

中国の習近平国家主席が、かつて起こった民主化運動に対し、中国人民解放軍が介入し武力弾圧を行い、多数の死傷者を出した「天安門事件」を称賛する演説を行っていたことが明らかになりました。

共同通信は、以下のように報じています。

習氏は80年代末から東欧や旧ソ連で社会主義体制が崩壊し「中国でも89年に深刻な政治風波(騒ぎ)が発生した」と天安門事件に言及。「党は断固とした措置で、党と国家の生死存亡がかかる闘争に打ち勝った」と述べた。

出典:習氏、天安門弾圧を称賛 昨年「国家守った英断」と演説 | 共同通信

つづいて、求是(中国共産党の公式メディア)に掲載されていた、原文(中国語)。

上个世纪80年代末90年代初,东欧剧变、苏共垮台、苏联解体,世界社会主义遭受严重曲折,我国也发生了1989年春夏之交的严重政治风波。我们党紧紧依靠人民,以坚定意志和历史担当,采取果断措施,打赢了这场关系党和国家生死存亡的斗争,并顶住了西方国家所谓“制裁”的压力,保证了中国特色社会主义正确航向和改革发展的正确方向。

(以下Googleによる翻訳)

1980年代後半から1990年代初頭にかけて、東欧は劇的な変化を遂げ、ソビエト連邦共産党は崩壊し、ソビエト連邦は崩壊しました。世界社会主義は深刻な紆余曲折に見舞われました。 1989年の春と夏の変わり目に国。私たちの党は、確固たる意志と歴史的責任を持って国民にしっかりと依存し、党と国の間のこの生死の闘いに勝つための断固たる措置を採用し、西側諸国におけるいわゆる「制裁」の圧力に耐えます。中国の特徴を備えた社会主義を確保するため。改革と発展の正しい方向と正しい方向。

出典:以史为鉴、开创未来 埋头苦干、勇毅前行 - 求是网

翻訳は所詮機械なので、所々おかしな個所はありますが、言っていることは大体冒頭の共同通信の訳と同じですね。

1980年代後半から1990年前半にかけて、東ヨーロッパ...というより中国北部ではソビエト連邦で政治改革が行われ、それに影響されて1989年の春と夏の変わり目に中国でも重度な政治風波が起こった。中国共産党は天安門事件をタブー視していますから、名前は出しませんがこれが「天安門事件」。それについて、後の文で「果断な措置を取り、党(中国共産党)と国家の生死存亡に関わる闘争に打ち勝った」と記述しています。(私訳)

つまり、習近平国家主席は天安門に集い民主化デモを行った人々を「中国共産党・中国を殺そうとしている中国共産党・中国の敵」とみなし、それを武力で弾圧することは中国共産党・国のための果断な措置、素晴らしい判断で、素晴らしい措置だったと言っているわけですね。我々とは価値観が違いすぎて唖然とします。

ここで僕は2つ違和感を覚えたのですが、気づいた人はいるでしょうか。

1つ目が訳で「国民にしっかり依存し」というワード。訳では「依存」となっていますが、ニュアンスとしては「国民に寄り添う」ということだと思います。中国共産党が国民に寄り添い、天安門のデモ隊を武力で弾圧したとしていますが、果たして当時の中国国民は本当にそれを求めていたのでしょうか。

そして、天安門で民主化を求めた勇気あるデモ隊は国民ではないのでしょうか。いいえ、デモ隊も中国国民です。国民に寄り添うというならば、デモ隊の人々にも寄り添わなくてはなりません。武力で弾圧するなど以ての外。

二つ目が習近平氏は演説で「党(中国共産党)・中国」と言っています。習近平氏の中ではあくまでも中国よりも党(中国共産党)の方が優先順位が上なんですよね。中国という国がなくなっても、中国共産党さえ残っていればいい、そんな思いが透けて見えます。

「党・中国の生死存亡の闘争に打ち勝ち」と言っているあたり、中国国民のことはどうでもいいんですよね。党・中国という国さえ残っていれば、最悪中国共産党だけでも残っていればいい。それが習近平国家主席の考えなのかと。


しかし、いくら暴徒化していたとはいえ、民主化を求めるために集まった市民を軍隊まで派遣して大量虐殺、武力で弾圧をした。それを称賛する中国の習近平国家主席。彼にとって中国共産党・中国に盾突く人は非国民で、人権・人命など無いに等しい存在なのでしょうね。

中国と対立する香港の民主派、ウイグル族などの少数民族、台湾人、彼らも習近平国家主席にとっては虐殺してもよい、という存在なのでしょうね。実際香港デモは警察という名のヤクザによって大量の死傷者を出していますし、台湾に対しては武力行使も辞さないと言っていますし。

こんな人がトップに立つ国で平和の祭典、五輪をやるんでしょうか。くだらない。なーにがオリンピック精神だ。

中国習近平国家主席、天安門事件での大量虐殺を称賛