たきぶろぐ

「大人」になりたくない人の雑記

安倍元首相の国葬を振り返る

先日安倍元首相の国葬が執り行われましたね。国を大きく二分しての開催だったので、特に大きな問題が起こらず無事執り行われたことにまずは一安心です。

僕は国葬には賛成でしたが、先述のように国を大きく二分、反対の声が大きかった中での実施は極めて残念です。亡くなられた安倍氏もこの様子を見て残念に思っているでしょうし、賛成派の方々もそのように思っている人も居ると思います。

しかし、反対派の主張することについて僕は疑義を唱えたいです。

国葬は憲法違反だったのか

一部の市民団体や、日本共産党の志位和夫委員長社民党党首の福島みずほ氏等の方々が「国葬は憲法違反だ」と主張を繰り広げています。本当にそうなのでしょうか?

この方々は憲法十九条で保障されている『思想及び良心の自由』、憲法十四条『法の下の平等』を主張の根拠としています。

〔思想及び良心の自由〕

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

出典:日本国憲法 | e-Gov法令検索

たしかに憲法十九条では思想、良心の自由は侵してはならないと明記されています。そのため、違憲だと主張する方々の「国葬を開催することによって、半旗を掲げることを強要されたり、黙祷や服喪を強制されることは『安倍氏に対して弔意を示したくない』という思想の自由に反している」とする主張には僕も納得できます。

しかし、実際にそんなことがあったかというと、国としては服喪を強制したり、黙祷を強制したり、半旗を掲げろと強制したり…そんなことはありませんでしたよね。

あくまでも「要請」であり、要請とは「おねがい」であって、するもしないも個人の自由です。僕も国葬当日、家族の誕生日だったのでピザパーティーしましたし(笑)。

当初は国が国民に黙祷をさせる云々話が出ていたので、それがもし実現していたら憲法違反の可能性が高いですが、それも実現されなかったので結果としては憲法違反ではないと思います。

また「法の下の平等」に関しても後述しますが、安倍氏の国葬はきちんと法的根拠のあるもので、法に反していないため、これまた憲法違反だとは言えないと思います。

そもそも裁判所も国葬の差し止めを求める特別抗告を棄却していますからね。

というか、志位和夫氏や福島みずほ氏含め、「国葬反対!国葬やめろ!」とか主張できて、さらに国葬を欠席できている時点で、「国葬への参加は強制されていない」、「自由に反対と叫ぶことができる」ことは明らかで、「思想・良心の自由が侵害されているから憲法違反だ!」とする彼らの主張は矛盾しているように思います。思想・良心の自由が侵害されていたら「国葬反対!」とか叫べないし、国葬への欠席もできません。

反対派の方々は安倍氏の顔面をプリントしたTシャツに水鉄砲を当てるなどという低俗で下品なことをやっていましたし、そのことからも思想・良心の自由は保障されていることが分かりますね(白目)。彼らは自己矛盾に気づいているのだろうか…。

国葬は違法だったのか

岸田首相は国葬の開催について「内閣府設置法」が根拠になっていると説明をしています。その内閣府設置法の条文が下記。

(所掌事務)
第四条

〜中略〜

三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)

出典:内閣府設置法

国の儀式に関する事務は内閣府設置法において内閣府の所掌事務に含まれており、「国が実施する葬儀」である国葬は国会を通すことなく、内閣府の閣議決定のみで実施が可能というのが岸田首相の説明。

面白いのが国は「国の儀式」ということを強調するため、「国葬儀(こくそうぎ)」という言葉を使っています。でも僕は使いません。くだらないし、変換だるいので。

そして国民民主党党首の玉木雄一郎氏はTwitter、YouTubeで内閣府から「内閣府設置法のコンメンタールを取得した」と語っています。

コンメンタールというのは、玉木氏も動画で説明していますが、簡単に言うと「法律をより詳細に解説したもの」。法律に事細かく書くとめちゃくちゃ長くなるので、法律ではあくまでも重要な部分だけを書いて、細かな部分はコンメンタール(逐条解説書)でその法律解説をしていくらしいです。初めて知りました。

では岸田首相が法的根拠だと主張する内閣府設置法のコンメンタールにはどのようなことが書かれていたのか、以下玉木氏のツイートを引用します。

「国葬儀」の法的根拠とされる内閣府設置法について、1999年の制定時の逐条解説を内閣府から入手。これを見ると、内閣府の所掌事務として
①国の儀式
②内閣の行う儀式
があり、さらに①は
a.憲法7条10号(天皇の国事行為)の儀式
b.閣議決定で「国の儀式」と位置付けられた儀式
に分けられている。

aの例として「即位の礼」、bの例として「故吉田茂元総理の国葬儀」が具体的に書かれている。
「国葬儀」「国民葬」「合同葬」の別を認識しつつ、いずれも内閣府の所掌事務として、省庁再編前の総理府設置法にない条文を新たに法定していることから、「国葬儀」の法的根拠がないとの主張は無理がある。

出典:玉木雄一郎(国民民主党代表)│Twitter

コンメンタールの中に「閣議決定で『国の儀式』と位置づけられた儀式」が内閣府の所掌事務となることが明記されています。かつ具体例として故吉田茂氏の国葬儀があげられています。

このことから、安倍氏の国葬は国の儀式であって、それを内閣府が執り行うことは法的には問題が無く、違法とは言えないのではないでしょうか。

しかし、国葬自体は違法ではないですが、安倍氏を含め今後亡くなる方々が国葬にふさわしい人物なのか、その基準を設けないと、誰も彼も国葬国葬となり国葬そのものの品格が下がることにも繋がりかねない。国葬にする基準は必要だと思います。

また、円安等様々な要因によって起こっている物価上昇や、国葬前には台風による被災などもあり、国民が苦しんでいる中で国葬をやるのはどうなのか、というのも一つの意見ではありますね。もっと優先すべきことはあるだろうと。これに関しては同意見です。

岸田政権は検討に検討を重ねて何もしていないので日頃の行いですね。やるべきことをやっていたらこんなことは言われていなかったはずです。国葬だけは決断と実行が早かったですね。褒めてませんよ?

民主主義を破壊している?

日本共産党の志位和夫委員長や社民党の福島瑞穂氏は国会を通さずに閣議決定のみで国葬の実行を決めたことを「民主主義の破壊だ」と主張しています。

が、上記のように安倍氏の国葬は法に則って行われたもので違法性、違憲性は無いことは明らかです。

国の法律で国葬は内閣府の閣議決定によって行えることになっているのだから、国会を通す必要がないのは当然のこと。法治国家ですから。情治国家ではありません。

それに日本は議院内閣制という形を取っているため、内閣に入った方々も選挙(民主主義)によって選ばれています。当然のこととはいえ、第二次岸田改造内閣の閣僚名簿を見ても、大半が衆議院もしくは参議院の国会議員です。

衆議院、参議院の国会議員は言わずもがな民主的な選挙で選出され、選出された多数派(自民党と自民党と連立している公明党)が内閣を組織する。内閣だって間接的とはいえ選挙によって国民に選ばれた人たちなのだから、閣議決定も民主主義の結果と言える。

閣議決定を「民主主義の破壊」と主張することこそ、国民によって民主的に選ばれた内閣の閣議決定を否定することになり、それこそが民主主義の破壊。

 

いつものことながらうんざりします。