たきぶろぐ

「大人」になりたくない人の雑記

LGBT理解増進法が可決。ひとまず一安心。

今週火木の更新をお休みしました。今週1週間すこぶる体調が整わなくてですね、ずっと体の重さと頭痛と腹痛に見舞われております。

1日半休をいだいたのですが、窓の外から聞こえてきた学校のチャイムになぜか感動しました。あの頃はあの頃で不自由だと思っていましたが、今思うとあの頃の方が自由だったのだな…としんみりと思います。あの頃に戻りたい…と思いながらただただボーっとしてました。

さて、先日紆余曲折ありましたが、LGBT理解増進法が成立しました。私はLGBTs当事者でもあり、先日「LGBTs差別禁止法に反対します」という記事を投稿しましたが、今回の法については100点とまではいかなくとも、評価できるものだと思います。

一応お伝えしておきますが、この記事は先週途中まで書いたものです。決して会社を休んでいる間に書いたものではありません。

LGBT理解増進法が可決。ひとまず一安心。

成立したのは自公国維による修正案

LGBT理解増進法については3つの法案ができるなど、異例な事態でした。

1つが立憲、共産、社民による案。2つ目が国民民主、維新による案。そして3つ目が自民、公明案。最終的に成立したのが、自民公明案をベースに、国民民主、維新が修正を加えた、修正案が成立しました。

3案の違いとは

では3つの法案、それぞれ何が違ったのでしょうか。ざっくりと見てみます。

立憲、共産、社民案 国民民主、維新案 自民、公明案 自公国維修正案
性自認 ジェンダーアイデンティティ 性同一性 ジェンダーアイデンティティ
記述なし 多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み 記述なし 多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み
差別は許されない 不当な差別はあってはならない 不当な差別はあってはならない 不当な差別はあってはならない
記述なし 全ての国民が安心して生活できるよう留意する 記述なし 全ての国民が安心して生活できるよう留意する

性自認の表現

まず、性自認の表現ですが、立憲・共産案は「性自認」、国民民主・維新案では「ジェンダーアイデンティティ」、自民・公明案では「性同一性」、修正案では国民民主・維新案のジェンダーアイデンティティが採用されています。

これはねえ…言葉遊びだと思うんですよねぇ。自民も説明していますが、元は「ジェンダーアイデンティティ」という一つの英語で、それを翻訳すると「性自認」や「性同一性」といった言葉になる。

「性自認」にするか「性同一性」にするかを揉めたって意味がない。なぜならどちらも元は「ジェンダーアイデンティティ」という一つの言葉だから。

「横文字にしてどうする!」という批判もあるかもしれませんが、これは無意味な論争を避けるためですね。(主に「性自認にしろ!」と言ってくる立憲・共産党)

法律制定前の現状について

そして現状認識について、立憲・共産案、自民・公明案では現状認識についての記載が無かったのですが、国民民主・維新案では「多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み」と記載があり、修正案でもこれが採用されました。

法律は現状に問題があるからつくられるものなので、現状にどういう問題があるのかを記載するのは法律をつくる根拠にもなり、良いと思います。これを記載することによって、じゃあ法律をつくってその問題は解決できたのか、それもはっきりと分かるので。

また、「国民の理解が必ずしも十分ではない」ということから、あくまでもこの法律では「多様性に関して国民の理解を深める」ことを目的としていることがわかります。差別をなくすことではなく、理解を深めること。

そうなんです。結局のところ、理解をすれば差別なんて自然になくなっていくものです。「LGBTs差別禁止法に反対します」という記事の中にも書きましたが。法律で差別を禁止しても、個人の思想が変わるわけじゃない。むしろ法律で禁止すれば思想良心の自由に反し、憲法違反となる可能性があるのではないでしょうか。

ハンセン病にしろ、コロナにしろ最初は病気に対する理解がなかったから隔離だの、マスク警察だのが出ましたが、理解が進んだら差別行為は減ってきましたよね。まだやっている人は居ますが、昔よりは明らかに減ったはずです。それと同じです。

最初っから禁止にしたって反感を買うだけです。「なぜあいつらだけ法律で守ってもらうのか」、「不公平じゃないか」とね。

当事者以外の人への配慮について

そして、最後の国民の安心については立憲・共産案、自民・公明案では記載がありませんが、最終的には国民民主・維新の会の「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」という文言が記載されました。これ、働きかけた国民民主と維新を称賛しますし、それを採用した自民・公明にも感謝します。

この法案が出たときから、様々な意見がありました。「女装をした男が『トランスジェンダーです』といえば女湯、女性トイレに入れてしまうのではないか」と。これ、デマだとか、杞憂だ、差別だとか一部の人は言ってましたが、つい先日に実際に起こりましたね。

参考:女装して女性用浴場侵入 津、容疑の男「私は女だ」と否認 三重(伊勢新聞) - Yahoo!ニュース

デマだと言っていた方、これはどういうことですか?逮捕はされていますが、女湯に入れていますよね。この人は入っただけで他の女性に被害がなくて良かったものの、中で性犯罪でも起こっていたらどうするおつもりでしょうか?

差別禁止としたら、こういう人間を店側は断れなくなります。断ったら「差別だ!」という人間が出てきますからね。差別と区別は違う。こういう何でもかんでも差別だと言ってくる輩によって、他の人が不安に思ったり、不快に思ったら意味がない。ただただ反感を買うだけ。なんでも自分の思うように行くと思うな、と僕は言いたいです。

だから、このような条文が記載されたことは、こういう輩が好き勝手するのを抑制できるので、評価に値すると思います。


ひとまず、「差別禁止」という文言がなくなり、LGBTが「差別禁止」を盾に好き放題できてしまう、という最悪の事態は免れられたので、一安心です。