たきぶろぐ

「大人」になりたくない人の雑記

死刑制度

お久しぶりです。たきです。

先日ネットを見ていたら、死刑囚が「当日に執行を告知するのは違法だ」として国を相手取り訴訟したというニュースがあったので、この件も含めて死刑制度全般に対する僕の私見を語っていこうと思います。

「当日に死刑執行を告知するのは違法だ」

日本では死刑執行を執行当日に伝えることが殆ど。何故かは大体予想がつきますが、執行を伝えて死刑囚が取り乱し、脱走をはかったり、自殺をしたり、自傷行為をする可能性があるため。もちろん中には平然としている人も居るとは思いますが、中で自殺や自暴自棄になって問題を起こしたら拘置所の責任問題になるので、執行当日に伝えることが殆どなようです。

しかし、これが問題だとして国を訴えたとのこと。訴えた理由は、「原告の死刑囚2人は、告知当日に執行するという運用は法律で定められていないうえ、弁護士への接見や不服を申し立てる時間がなく、適正な手続きを保障した憲法31条に違反し、違法だと主張しています。」

この訴えが認められるか否かは裁判所の判断になりますから、以下僕の持論になります。

恐らくですが、原告が主張しているのは、執行の2,3時間前だと弁護士に会うことができず、執行に対し意義を申し立てることができない。これ即ち適正な手続きができていないじゃないか、それじゃあ憲法31条に違反ではないか、とのこと。憲法31条は以下の通り。

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

出典:日本国憲法 | e-Gov法令検索

法律の定める手続きでなければ死刑をはじめ、その他刑罰を科すことはできない、となっています。死刑囚は法律の定めるに則って、死刑を言い渡されたので、死刑という罰を科せられています。

しかし、死刑囚にいつ告知するか定めた法律はなく、「事前に告知しても良いし、当日に告知しても良い」ということにはなっています。過去に事前に執行日を告知した際、執行前に死刑囚が自殺をしたことがあることから、当日に執行を伝えるのが慣習となった模様。

そもそも執行告知に関する法律がないため、ここは難しい判断なのかなと思います。死刑囚とはいえ、人間。死刑となったが冤罪の可能性も否定はできず、原告の主張もごもっとも。

なので、最終的には裁判所は形式的に勝訴敗訴は決めるものの、「死刑執行の告知に関する法律をつくるべき」と判断するのではないかと思います。

死刑というものは、余程のことをしないとなりません。仮に殺人で死刑になったとすれば、では死刑囚に殺された人たちは事前に「この日に殺しますから」と告知がなされたのでしょうか。恐らくそんな人は居ないでしょう。殺された人達にとっては突然の出来事。死刑囚が本当に反省しているのであれば、被害者と同じ「突然命を奪われる気持ち」を理解すべきではないでしょうか。

死刑制度についての持論

今日本だけでなく、世界中で死刑制度そのものが議論されています。罰とはいえ人の命を奪うことになりますから、やってることは罰とはいえ、同じ人殺し。人殺しをしたから死刑になって、死刑囚を殺すのは何か矛盾していないかと。人殺しが死刑になるなら死刑を執行した、日本の場合は刑務官が死刑になるべきではないか。そもそも罰で人の命を奪うこと自体が人権侵害にあたるのではないか。

その反面、死刑があることによって、重大犯罪の抑止力になっているため、死刑制度は必要だとの声もある。

僕は死刑制度は必要だと考えています。

大切な人を殺された人にとって、犯人はとても憎き存在。たとえ大切な人の命が戻ってこなくとも、犯人を大切な人と同じように命を奪いたいと思う人も中に入ると思いますし、

しかし、自分が殺すと自分まで死刑になりかねない。だから法で殺すために死刑制度というものがあります。死刑制度ではなく、終身刑や無期懲役でいいのではないか、という人もいるかと思います。

しかし、死刑囚を税金で食わせていくのはどうなのでしょうか。殺された人達やその近くの人たちは、命を奪われたうえ、犯人は税金で飯を食い、自由を奪われているとはいえ、のうのうと死ぬまで生きていられる。高齢になっても、拘置所で務める人たちが介護までしてくれる。

被害者たちはもちろん、納税している人たちからしてみても納得行く人なんてほんの一握りだと思います。

地下鉄に毒ガスを撒いて多くの人が苦しみ、亡くなったのに、死刑制度が無ければこのテロを起こした人間も税金で死ぬまで、介護付きで生きていられる。

確かに死刑囚も同じ人間ではあるものの、それは生物学上のことであって、罪を犯さない人と、死刑囚では全然違うし、罪を犯さない人からしてみれば、死刑囚と一緒にしないでほしいと思う。だから、死刑囚は死刑囚で、死刑という罰を受け入れるべきではないでしょうか。

死刑が人権侵害にあたるといいますが、そもそも死刑囚は人を殺して死刑判決を受けている人が居ますから、死刑囚自身が他人の人権を侵害したわけで、自分たちが死刑になった途端人権侵害だーと喚くのはちょっとおかしいのではないでしょうか。

それに仮に死刑という罰が人権侵害なのであれば、そもそも犯罪者を捕まえて刑務所内で懲役という名の強制労働をさせている事自体が人権侵害ではないでしょうか。犯罪者を拉致監禁し、強制労働。

これらすべてを人権侵害だとするのなら、犯罪者を刑務所に入れず、社会に解き放つことになりますが、それを良しという人間は居るのでしょうか。人を殺すような人間に何の罰も与えず野に放つということは、もっと犯罪者の餌食になる人が増えるということ。

それに、最近は凶悪犯罪が増えていると感じます。死刑がなくなれば、本来死刑となっていた人は刑務所に収容されるでしょうから、刑務所のキャパも考えなくてはならないですし、人数が増えれば増えるほどそこにかかる税金も増える。

最近は死刑になるために殺したという輩も居ますね。その人がなぜ死刑になりたいのかは分かりません。この社会に嫌気が差して死のうと思ったけど、自分で死ぬ勇気がないから誰かに殺してもらおうと思っていたのか。はたまた、死刑は死ぬことが罰なので、執行までの間は働かなくてもいいし、何もしなくていい。時と場合によりますが、読書や書物をするなんてこともあるようです。そのうえ日本は死刑が言い渡されても執行まで何十年も空く場合がある。何十年もの間、働かなくても他者が納める税金で生きていられる。だから死刑になりたいのか。

それは分かりませんが、どちらにせよ、裁判の段階でもう犯人が確定してて冤罪の可能性が全く無いという場合であれば、僕はそのまま拘置所の刑場に移送して執行してしまっても良いと考えています。その方が、抑止力も高まるでしょうし、人の税金で何十年も暮らしていける、という甘い考えもなくすことができますし。

 

死刑制度は賛否両論分かれますが、反対するのであれば、諸問題をどのように解決するか、対案を出さないとこちらも廃止しましょうとはなりません。死刑制度に限ったことではないですが、「海外では死刑制度が廃止されている」と言う方いますよね。しかし、海外は海外、日本は日本であって、海外に合わせる必要はない。現に2020年の世論調査では日本国民の8割が死刑制度を容認している。廃止にしたいのであれば、納得のいく説明が求められると思います。

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