たきぶろぐ

「大人」になりたくない人の雑記

ヤジ排除は違法だけど、ヤジは無くすべきでは

北海道で演説を行っていた当時の安倍首相に向かい、ヤジを飛ばした男女が警察によって強制的に移動させられた事件。先日、この強制移動は「違法だ」とし、北海道が男女に賠償するよう判決が出ました。

男女が行った「ヤジ」は一つの表現であり、ヤジを行ったからと言って演説会場から強制的に移動させるのは「表現の自由の侵害」だと、裁判で認められた形です。僕もこの判決に異論はないです。批判的なことを言ったからと言って、強制移動させるのは民主主義国家としてあり得ないです。

しかし、僕はこの「ヤジ」こそ、民主主義を後退させるものではないかと思うのです。というのも、今回の演説、ヤジを飛ばしたこの方々の周囲にも人が居たはず。それにもかかわらずヤジを飛ばすというのは、周囲の人間の「演説を聞く権利」「知る権利」を侵害していないでしょうか。

表現の自由は勿論ありますけれども、周囲には安倍元首相の演説を聞きたくて集まっている人も居ます。それなのにヤジを飛ばして、演説を聞きたくて集まった人が演説を集中して聞けない状況をつくる。周囲の人間はどうでもいい、自分さえヤジが飛ばせればいい、自分の意見さえ言えればいい、そんな「自分さえよければいい」という自分勝手な行為が許されて本当に良いのでしょうか。

今回の件のみならず、国会中継とか予算委員会を見るとつくづく思うんですけど、ヤジを飛ばして演説を妨害し、民主主義の根幹である議論の邪魔をするというのは民主主義を後退させているようにしか思えない。

批判をするなと言うのではなく、批判をするなら自分の発言の順番になったら行えばいい。選挙で安倍元首相の所属する自民党に入れなければいい。他人が話している最中にヤジを飛ばして、演説や議論を妨害したり、周囲の人間の演説を聞くことを妨害する行為は周囲の人間の「聞く権利」や「知る権利」を侵害している。

「ヤジを行ったことによる排除」に関しては僕はこの判決を支持し、排除はしてはならないと思います。しかし、「ヤジ」そのものは、周囲の人の権利を侵害しかねないうえ、民主主義の根幹である「議論」を妨害するような行為。ヤジ自体が見ていて不快だし、批判は「ヤジ」という形でなくてもできる。投票や自分の番で発言をする、ヤジという風習こそ無くすべきではないでしょうか。