約2年前の2019年2月14日、同性婚を認めないのは重大な人権侵害であるとして、全国5か所の地方裁判所に提訴されている「結婚の自由をすべての人に」訴訟。
全国初となる判決が来月17日に札幌地裁で予定されています。同性婚に関する判決が出るのは、恐らくこれが初となると思うので、どのような判決が出るか気になります。
この訴訟がどのようなものなのか、この2年間メディアで報じられることも少なく、記憶も薄れていってしまっているので、改めて振り返ってみたいと思います。
なぜ裁判を起こしたか
まず、なぜこの裁判を起こしたかですが、一般社団法人MarriageForAllJapanはサイトにこう掲載しています。
日本は、法律上の性別が同じカップルが結婚できるようにまだなっていません。
これは、憲法で守られるべき個人の尊厳を侵害し、平等にも違反するという重要な人権侵害にあたります。
そこで、日本に生活する同性カップルたちが、結婚できる社会にするために声をあげ、同性カップルが結婚できないことは憲法違反であると裁判所に判断してもらうため、裁判(結婚の自由をすべての人に訴訟)を、全国で起こしています。
日本の同性カップルが役所に婚姻届けを提出すると不受理になるという事例が数多くあります。
異性婚はできて同性婚ができないのは、憲法の「すべての人が平等」「個人の尊重」「婚姻の自由」に違反しているのではないか、ということで訴訟を起こしているということですね。
国の主張
今回の裁判での国の主張をまとめます。
婚姻制度は「子どもを生み育てるための制度」
「婚姻制度は伝統的に子どもを生み育てるための制度であり、子供を産めない同性カップルは必然的に婚姻することはできない」というのが国の主張その1。
この主張、子供を産む予定のない異性カップルや、子どもを産みたくても産めない人(不妊や金銭的な面などで)をも敵に回すような発言で、「子どもを生まないなら婚姻は認めない」と言っているようなもので、メチャクチャですね。
別に婚姻しなくても子供を産んで育てることなんてできるし、婚姻の要件に「子どもを産まなければならない」なんて規定もありません。
国のこの主張は何ら根拠もなく、ただ自分の価値観を人に押し付けているだけで、至る所に喧嘩を売っているだけです。
なぜ日本の政治家は自分の価値観を他人に押し付け、無意識でしょうが喧嘩を売るような発言をするのでしょうか。これが俗にいう「老害」なのでしょうが。(過去記事:「同性愛が広がれば足立区が滅ぶ」発言にもっと怒るべきワケ - たきぶろぐ)
「憲法は同性婚を想定していない」
「憲法は同性婚を想定していないため、民法で同性婚を認めていないことは憲法違反ではない」というのが国の主張その2。
憲法が同性婚を想定していないのは「両性の合意」という部分からも分かります。もし同性婚を想定しているのであれば、「両性」という言葉は使わなかったはずです。
しかし、憲法は同性婚を禁止しているわけではありません。憲法では「検閲の禁止」、「拷問の禁止」等、禁止することは明確に「禁止」と記載されています。では憲法の中に「同性婚の禁止」という文言はあるでしょうか。いいえ、ありません。
ということは「憲法は同性婚を想定していないから、民法で同性婚を認めないことは憲法違反ではない」という国の主張は全く根拠のない主張であるということです。寧ろ、「婚姻の自由」「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という憲法に反しています。
それに想定していないのであれば、憲法を変えるか、憲法の解釈を変更して「想定すればいい」のであり、それをしない国は同性カップルの人権を侵害しているため、憲法違反です。
憲法の解釈を変更して集団的自衛権を容認したんですから、今回もその時と同様、憲法解釈を変更すればいいのではないでしょうか。
しかし、野党は同性婚に賛同する議員が多い(特に立憲民主党)ため、同性婚を憲法に明記するための憲法改正であれば、与党の自民・公明が賛同すればすぐに改憲発議はできるでしょうし、調査で7割越えの人が同性婚に賛同しているという結果も出ているので、国民投票に持っていっても恐らく過半数がとれるので憲法改正もできると思います。
その努力もしないで「憲法で同性婚は想定されていないから同性婚は認めん」というのは何度も言うようですが、その主張自体が違憲であり、国も同性婚はどうでもいいと思っているんだろうなあということが分かります。
原告側の主張
原告側の主張としては上でも述べていますが、憲法、民法で同性婚が明確に禁止されていないにも関わらず、同性カップルの婚姻届けを受理しないこと、それによって憲法の「すべての人が法の下で平等である」、「差別を禁じる」といった部分に違反し、重大な人権違反であるという主張です。
私は過去の記事(同性婚は認められる「べき」か - たきぶろぐ)で、同性婚は認められる「べき」ではないと言っています。
それは「世界が認めているから日本も認めるべきだ!」という主張に疑問を抱き、「同性婚が法制化されたからと言ってLGBTsへの偏見、差別がなくなるわけではない」からです。
国にはそれぞれ文化や伝統・風習があり、安易に「外国がやっているから日本も!」となると、日本の文化などをぶち壊しかねないですし、同性婚が法制化されたからと言って、LGBTsに偏見を持っている人が差別や偏見をやめるとは限らないです。
それに、各自治体でパートナーシップ条例(簡単に言うと、婚姻までとはいかなくとも結婚に相当する関係であることを認める制度)の制定が進められているため、ある程度パートナーシップ制度で不便な点を補えるということ。
以上の点から認める「べき」とは考えていません。
が、私自身同性婚の法制化には賛同しますし、法制化への議論は積極的にしていくべきだと、過去記事の最後でも書いています。
しかし、現在の国を見ていると国は同性婚について議論をする気もないし、今回の裁判に対しても不誠実で、国としてどうなのかと思いますよ。
いずれにせよ、この札幌地裁の判決が今後の国の動きに影響を及ぼすことは必至です。国にとって都合の悪い判決が出れば国が控訴するのは目に見えていますが、ここは同性婚法制化のため、長い時間をかけてでも話し合いを続けていってほしいと思います。